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広島カープV7記念・ハマの兄貴からコイの兄貴へ!★ [スポーツ]

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カープV7記念「ハマの兄貴からコイの兄貴へ!男の涙溢れる!」
 

9月10日、広島東洋カープが東京ドームで25年ぶりとなるリーグ優勝を果たした。

今年カープは強力な打撃と走塁を誇る攻撃力で、他を寄せ付けない圧倒的な攻撃力でペナントを勝ち進んできた。

それを支えたのは本年から打撃コーチが三人体制となった。

その中で、2012年の秋季キャンプより、広島一軍内野守備・走塁コーチを務めてきた、石井琢朗が、今シーズンより一軍打撃コーチへの就任が発表された。

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昔プロ野球を見ていたものとしては、石井琢朗は横浜ベイスターズの選手のイメージが強かった。
ゲーム「パワプロ」でも圧倒的なミートとスピードで使いやすい選手だったことを記憶する。

2008年スタメン出場激減していた、石井琢朗は横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)から引退勧告を受ける。石井は勧告を拒否し、現役続行を希望して球団に自由契約を申し出たことでカープが獲得に乗り出しカープに移籍。

2009年から開幕一軍でスタートであった。

オールドコンビとしてかつてのライバル前田智徳と共に野村謙二郎監督の率いるカープを盛り上げた。

そして、2012年石井琢朗は引退した。
プロ野球選手の引退試合と言うのは大変感動するものだが、私が最も感動したと言ってもいい試合がある。

それは、10月8日、シーズン最終戦となった古巣の対横浜DeNAベイスターズ戦が横浜スタジアムで行われたのだ。
カープ球団としては、9月30日にマツダスタジアムで行われた対阪神戦を引退試合としいたが、古巣で試合前にセレモニーが行われた。

そして、感涙・感動を呼ぶ奇跡の場面が訪れる。
8回表現役最終打席。
両チームが「タクロー!」と大声援を贈る。
そして、「駆け抜けるスタジアム♪ 君の勇姿♪ 明日の星を掴めよ♪ 石井その手で♪」と石井琢朗の応援歌がライトレフト、敵味方を超えて一つの合唱となったのだ。

この奇跡は実は偶然ではなかった。
カープの応援団はベイスターズ時代の石井琢朗の応援歌をそのまま引き継いだ。

そしてベイスターズファンは忘れるはずがなかった。
鈴木尚典やローズ、谷繁らと共にマシンガン打線で沸かせ、大魔神佐々木もいた98年には日本一に輝いたことを。

更に石井琢朗は自身がベイスターズを離れると決まった、2008年11月29日、自費で横浜スタジアムを借り切り、ファンへの感謝を表すイベントを開催した。主催者発表によるとファン3500人が参加し、オークションではユニフォームが20万円以上の値で落札されたという。

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ここまでファンを大事にした琢朗をファンは必死に応援した。
また、2009年からカープを沸かせてくれた石井琢朗を必死に応援した。
カープファンはスクワットで、ベイスターズファンは大合唱で石井琢朗の打席を見守った。
石井琢朗は泣いていた。

結果、センターフライとなったが、両チーム大拍手で称えた。
更に試合終了後、石井琢朗はライトスタンドに向かいベイスターズファンに頭を下げ感謝を伝えた。
また、カープファンのもとに向かい感謝を伝えた。

横浜スタジアムは「「駆け抜けるスタジアム♪ 君の勇姿♪ 明日の星を掴めよ♪ 石井その手で♪」の大合唱で揺れに揺れた。

男石井琢朗は涙で顔がぐしゃぐしゃであった。

そして、石井琢朗は引退後、単身広島に渡り、(後から家族も引っ越したようだ)コーチとなってカープを支えた。


特に今シーズンは東出輝裕、迎祐一郎と共に三人で打撃コーチとしてカープを支えた。

かつてハマの恐るべきマシンガン打線の先頭を駆けた石井琢朗の指導は恐らく“コツコツ繋いで、足で勝つカープ野球”との融合にピッタリであったと私は思う。

そして、カープは見事、圧倒的な攻撃力で9月10日、東京ドームで25年ぶりとなるリーグ優勝を果たした。

男石井琢朗は再び涙で顔がぐしゃぐしゃとなっていた。

何故、石井琢朗は「ハマの琢朗」から「コイの琢朗」へとなったのか。

8年ぶりの日本一の原動力となった横浜の看板選手・石井琢朗は、横浜を自由契約となった。たとえ、一時代を築いた人間であっても戦力外通告は訪れる。国内外すべてのチームでプレーする意思を表明し、11月、広島東洋カープへの移籍した

 20年慣れ親しんだチーム、立場、環境をすべて手放し、一からスタートを切った。

「横浜の最後の数年は、正直辛かった。生え抜きの代表選手として、見本であり、完璧である必要があった。ポジションを譲れない意地もあった。でも、広島には前田がいた」という。
 前田智徳。広島一筋の男が、石井が持っていたプライドや意地を溶かしていったという。
 「若くていい選手もたくさんいる。道は前田が示してくれる。ならば俺は鑑(かがみ)になろうと思った」と。

かつての栄光に浸ることなく、目の前の山を越えていこうとする
石井琢朗の人生に学ぶことも多い。

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